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【明石家さんま】さんというお笑いの天才w現役大活躍中の66歳?ピンピン元気なその訳???0占命占い

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ブラックデビルさん

ja.wikipedia.org

1955年〈昭和30年〉7月1日 

日本のお笑いタレント・司会者・俳優。吉本興業所属。

本名:杉本 高文(すぎもと たかふみ)。

 

 

 

はじめに

もはや日本人なら誰でも知っている有名人です。たけし、タモリ、さんまとお笑いビック3として一時代昭和のテレビを活気づけた3人です。特にさんまさんは、関西のタレントとして活躍した後に、東京進出してきた、あのかの有名な吉本興行所属です。

 

東京では、なかなか定着しなかった関西のお笑いをスタイリッシュなさんまさんの感性とイケメンが受けて人気とお笑いセンスが日本中に受けていました。関西芸人で最初に成功した芸人さんではないでしょうか?

 

さんまさんが売れ始めると、次々に関西芸人の認知度が広まり、お笑い=関西という時代に流れになりました。その功績は、さんまさんの存在があったからこそです。そしてなにより、「さんまさんがキライ」という人を見たことも聞いたこともない。好きなタレントno1!!を維持し続けるという快挙。そんな愛されるさんまさんを観ていきましょう。

 

本命星 -> 九紫火星 未

月命星 -> 一白水星 午

傾斜宮 -> 巽宮傾斜

0地点 子丑 浮気生まれ

 

未年

気性はすごく穏やかで、正直で慈愛に富み、慈悲心が強いでしょう。ひとたび集中すると、わき目もふらず一つのものに熱中するこだわり型の性質です。他の人と違うことが好きで、一番良いベストなモノを作ろうとする苦労性で、わざわざ苦労しなくても良いのに、苦労を引き受けるようなところがありあます。

 

潔癖が過ぎて小心で、臆病になりやすく、あたらしい事にチャレンジするのをためらいがち。また正直がすぎて周囲から孤立することも多い。過去、現在、未来において、自分の見える範囲の狭い殻の中だけでなく、精神的にも、くよくよ心配せず、自らの心を開放して、自由に解き放てる環境、行動と開放が必要です。

 

そして、ネガティブな思考は止めて、できるだけポジティブな思考と行動を心がければ、成功への道筋となります。集中力とねばり強さがあるので、いったん「コレ」いったこだわりが見つかれば、一番強く運勢に働くことができます。趣味からでもよいので何か始めて見ましょう。

 

本来は臆病な性質なのです。ですから集団行動を好んで、仲間外れにならないように行動します。嫌われないようになるべく頭角を現さないようにして、平均より少し上を好みます。そこが一番気持ちが安定するポジションだからです。

 

自ら新規を起こすというより、誰かについていくほうが安心です。ただ裏切られるといつまでも根に持ち続けます。いわゆるクヨクヨ悩んで、しまいには病気になってしまいます。ですので他人をあまり過大評価せず、そこそこの信頼関係で済ませれば良いのです。

 

巽宮傾斜

九星では四緑木星に対応します。人当たりが良く、年上、年下関係なく可愛がられる資質があります。穏やかな性格で、信念を貫き通す強い精神と頑固さがあります。また指導力も持っているのでグループの中心になったり、他人の世話をしたり、世話焼きな人です。そして人のために良く働くので、信頼関係や絆が深くなります。とにかく人に恵まれているので、人との出会いにより、大きなチャンスを手に入れられる人です。

 

0地点 子丑 浮気生まれ

北、東北には縁がありません。0地点が浮気生まれなので、信念のないままに、気ままな感性があります。無責任と言われますが、それなりの意思があります。他人から見れば、あちこち思考や方針が変わるので、風見鶏のように言われます。

しかしこれにも理由があります。その時は気持ちが盛り上がっていても、他の目新しい物を見てしまうと、先の物はゴミとなって捨ててしまうのです。このような行動や、思考を心変わりが早いと言います。

ですから、このような傾向な人とつきあったり、友人関係になるといつ縁を切られるのか?ヒヤヒヤものです。本当に信頼できる人を見つけられるまで、アチコチに興味が移るのです。この傾向は特に幼少時にあるのです。年を重ねると、がまんを知り人間的に丸くなるものです。しかし本質としてこのような、浮気体質があることは明白です。

 

0占命占い

1955年 0歳 浮気

和歌山県串本町の水産加工業の次男として生まれる。

3歳の時に奈良県に転居し、出身小学校である奈良市立鼓阪小学校には、小学生当時に捕まえたムササビが展示されている。

 

奈良商業高校時代もクラブ活動はサッカー部に所属したものの、決して真面目な生徒ではなく何度も別のクラスの授業を悪戯で妨害するなどで学校中の人気者となり、さんま自身も

「自分の頂点は17歳」 0地点

と公言している。

 

 またクラスメイトの前で桂三枝の落語のコピーや自身の新作漫談もよく披露し、ある英語教師も授業を時々中断してはそれを黙認していた。

そしてその才能に驚いた教師に「杉本、おまえ、吉本入れ」と言われ、徐々に芸能界に興味を持つようになった。

 

弟子入り

1974年 18歳 開拓

高校3年の時に笑福亭松之助に弟子入り。

高校卒業後の3月に正式に内弟子修行を開始。

入門生活は丸刈りにされること以外はあまり厳しくなく、放任主義だった。

高座名は「笑福亭さんま」が与えられた。

しかし半年もしないうちに内弟子修行を放り出して、当時交際していた女性と共に上京し、東京で一旗揚げようと試みる(いわゆる「さんま駆け落ち事件」)。

 

しかし、東京での生活はうまくいかず、さんまは一時帰阪した際、松之助から借りていた本 を返すという口実で、松之助宅を訪ねたが、松之助はさんまを一切叱ることなく、明るい声でさんまを激励した。

 

その後笑福亭のままでは反発があると、松之助の計らいでそれまで屋号を名乗っていた笑福亭ではなく「明石家さんま」として再出発した。

 

関西ローカル時代

1976年 21歳 決定

放送のよみうりテレビ制作の『11PM(大阪イレブン)』にて生放送された、20歳を迎える上方落語家をスタジオに集めてトークする企画

「20歳の性熟度ピンクテスト」に出演。

 

松之助は着物ではなく「赤いブレザーを着ていけ」と指示し、出演者の多くが着物姿の中、忠告に従って営業用の赤いブレザーを着用して放送に臨み、よく喋ったさんまは目立った存在だったという。これがさんまのテレビデビューだった。

 

弟子になってから2年が経ち、通い弟子を卒業したさんまだが、テレビの出演オファーは全く無く、不定期の花月劇場の出番と落語会の出番の他、同期の島田紳助とイベント司会などの営業活動を行なっていたのみで、ほぼ毎日のように先輩芸人の森啓二とナンバ五郎(のちのMr.オクレ)とプラプラしてるだけだったという。

 

ある日、毎日放送の『スタジオ2時』の企画「若手漫才選手権」に兄弟子の明石家小禄と漫才コンビとして出場を打診され、他に仕事もなく、松之助の助言もあり出場。

小禄との漫才では、巨人の1番柴田から8番河埜までの選手の形態模写を順番に披露し、最後に巨人のエース小林繁の投球フォームを披露するネタが客にウケ、徐々に人気が高まった。

大晦日にフジテレビ『小川宏ショー』に出演。

前述の形態模写で同年に活躍したスポーツ選手ネタだったが、これが東京での初仕事となった。

 

1977年 22歳 健康

からうめだ花月に漫才コンビとして出るようになり、吉本興業から「アトム・スリム」として正式にデビューを打診されるが、さんまはピンで売れたい気持ちが強く拒否し事実上のコンビ解消となった。

同時期に島田紳助からも漫才コンビを組む事を打診されるが拒否し、代わりに松本竜介を紳助に紹介し「紳助・竜介」結成に大きな役割を果たしている。

B&B、のりお・よしお、ザ・ぼんちらとのコントユニット「ビールス7」を結成し、花月の舞台に定期的に出演していた。

それらの活動が桂三枝の目に留まり、彼が司会する毎日放送の人気番組『ヤングおー!おー!』に抜擢。

 

1978年 23歳 人気

『MBSヤングタウン』の桂三枝のアシスタントに抜擢。

さらに同じ頃にプロ野球において「空白の一日」事件が起こり、巨人の小林繁が阪神に移籍すると、前述の小林の形態模写が再び脚光を浴びて、同形態模写をモチーフにしたレコードを出し、大ヒットするなど関西を中心にアイドル的な人気となる。

 

全国区のスターに

1978年 23歳 人気

フジテレビ正月特番『はつもうで、三枝の爆笑ヒットパレード』に出演。

その番組のスタッフだった横澤彪や三宅恵介との出会いから『スター千一夜』をはじめ、その後も両者が担当するフジテレビの多くの番組に重用される事になる。

 

1979年 24歳 浮気

ニッポン放送で『明石家さんまのオールナイトニッポン』などレギュラーをもつなど徐々に東京にも進出しはじめ、1980年代に入ると、ピン芸人にもかかわらず漫才ブームに乗っかって『THE MANZAI』等に出演していた。

 

1980年 25歳 再開

吉本興業が東京に本格的に進出するために東京連絡所を設立、漫才ブームが徐々に失速する中、さんまと紳竜が先頭に立って東京での仕事を増やし始めて、『笑ってる場合ですよ』、『オレたちひょうきん族』に主要レギュラーとして出演、さらに同年放送開始の『さんまのサタデーナイトショー』(テレビ東京)で、冠番組を獲得している。

 

1983年 28歳 背信

『のんき君』(フジテレビ)でドラマ初主演を果たすなど、当時は下に見られていた東京での大阪芸人としての地位を築くとともに、大阪中心から東京中心に活躍の場を移した。

しかしこの時期に仕事の量と給料が全く釣り合わず、密かに吉本を辞める決心をしていたが、東京支社長の木村政雄から吉本の看板でいて欲しいと言われ、思いとどまったという。

 

1984年 29歳 0地点

からは『笑ってる場合ですよ!』後番組の『笑っていいとも!』で金曜日レギュラーとして出演。

特にさんまが「10分でいいからタモリさんと雑談するだけのコーナーをしたい」とプロデューサーに頼み込み、結果として10年以上続く人気コーナーとなった。これがきっかけで

 

1985年 30歳 清算

第1回東京国際映画祭において、タモリと共に総合司会を務める。

しかしその司会ぶりが「ふざけた司会者」・「ソフィー・マルソーに知っとるケと言う始末」と新聞紙面上で非難される。2回目以降も総合司会を任される予定だったが、結局1回限りで降板になった。

 

日本航空123便の不幸から逃れる!?

この時期は多忙を極め、大阪と東京を週に何往復もしていて、『MBSヤングタウン』出演のため、伊丹行きの日本航空123便に搭乗する予定だったが、搭乗前の「ひょうきん族」の収録が予定より早めに終わり、一便早い全日空の便に振り替えたためにその墜落事故を免れた。

 

同日放送の「ヤングタウン」では、「いつも使ってる便やから…」とショックを隠せず、この経験を機に飛行機に乗れなくなってしまい、東京・大阪間の移動などは新幹線を利用するようになった。また、この経験から生まれたさんまの座右の銘が「生きてるだけで丸儲け」であり、娘IMALUの名前の由来になっている。また、笑顔のまんまの歌詞にもこの言葉が使われている。

 

1986年 31歳 開拓

TBSテレビドラマ『男女7人夏物語』、1987年10月よりその続編である

『男女7人秋物語』に主演し、いずれも最高視聴率が30%を越えるなど

名実ともに国民的スターとなる。

同番組で大竹しのぶと親しくなる。

 

1987年 32歳 成長

ナムコがファミリーコンピュータ用ソフト『さんまの名探偵』を発売し、人気を博す。しかし吉本興業が本人の許可を取らずにメーカーに制作・発売を許可したため、事実を知ったのは発売後だった。

 

大竹しのぶとの結婚

1988年10月 33歳 決定

『男女7人秋物語』の出演以降も交際が続いていた女優の大竹しのぶと結婚、

翌1989年に娘のIMALUが誕生した。

 

1989年10月 34歳 健康

で『ひょうきん族』が放送終了すると同時に、しばらくは育児に専念するため仕事を控えるようになり、全国ネットのレギュラー番組も『笑っていいとも』、『さんまのまんま』、『あっぱれさんま大先生』のみとなり、ゴールデン帯のレギュラー番組が一時期なくなっていた。また1991年にはOVA『リリが見たやさしい虹』を原案および声優(ジョー役)として参加(リリ役は大竹)。

 

また絵本としてもさんま名義で出版(ストーリーは脚本家の君塚良一)するなど、家庭的なイメージを見せていたが、しかしそれにより5年連続して1位だったNHKの『好きなタレント調査』で15位にまで急落するなど、一時的に人気に陰りが見えていた。

 

1992年9月 再開

大竹と離婚。

バブル崩壊も相まって、しばらくは8億5千万円の豪邸が中々売却できずに、「同情するなら家買って」など自虐ネタなどもギャグにしていた。結局数年後3億円まで落として売却されたため、5億円の借金が残った。

 

1993年4月 38歳 経済

『さんまのナンでもダービー』

 

1994年4月 39歳 充実

『恋のから騒ぎ』がそれぞれ放送開始するなど仕事の量も増やした。

 

1996年4月 41歳 0地点

『さんまのSUPERからくりTV』

 

1995年9月 40歳 背信

スタッフとの確執がきっかけで、を以て金曜レギュラーとして11年半出演した

『笑っていいとも!』を降板。

 

大御所芸人として

2003年 48歳 浮気

自身としては初めての戦争ドラマに挑戦したTBSドラマの『さとうきび畑の唄』に主演し、平成15年度文化庁芸術祭テレビ部門大賞受賞作品するなど、高い評価をうけた。

しかし、戦争映画特有な過酷なロケに対して自身は「もう二度と戦争ドラマには出たくない」と語っており、ドラマ内の名セリフ「こんな事をするために生まれてきたんじゃないんですよ」を自らパロディにしたりして笑い話にしたりしている。

 

2009年 54歳 清算 

娘のIMALUが芸能界デビュー。当初は猛反対していたが、デビューするにあたっては発表前日に突然元妻の大竹から聞かされた後は諦念し、「とにかく人の倍は努力せなあかん」とアドバイスを送った。

 

2012年 57歳 決定

なんばグランド花月にて行われた、「吉本興業創業100周年特別公演・伝説の一日」の4回目に出演。

大トリとして、『さんまの駐在さん』が25年ぶりに復活した。

本公演には、当時のレギュラーメンバーであった月亭八方や間寛平、村上ショージ、ジミー大西の他に、今田耕司や岡村隆史、桂三枝、西川きよし、師匠の松之助など総勢51名が出演した。

 

還暦以降

2015年 60歳 浮気

還暦を迎え、還暦記念してフジテレビで『さんまでっか!?TV』、毎日放送で『痛快!明石家電視台 明石家さんま生誕年SP』などが放送され、番組はさんまのゆかりの芸人らが出演し思い出に花を咲かせた。

還暦を越えてからテレビタレント以外の活動として、プロデューサー業にも携わるようになる。

『さんまのまんま』で共演した直木賞作家の西加奈子との縁で、彼女の小説『漁港の肉子ちゃん』の映像化の権利を取得。当初は実写映画化を考えていたが、西の希望によりアニメ化されることになり、同プロジェクトにプロデューサーとして参加。2年余りの製作期間を経て2021年6月に上映した。

 

2018年 63歳 充実

にはジミー大西の半生をドラマ化した『Jimmy~アホみたいなホンマの話~』をNETFLIXでプロデュース。

 

まとめ

1976年 21歳 決定の時期に、東京では小さなデビューでしたが、決定という影響が働き、小さな種まきから、大樹となりました。もしこの時期に種まきをしないと、その後の人生に大きな影響が出ます。良い種まき、悪い種まき作用があるのです。そして、日航ジャンボ機123便ですが、乗るはずだったが、仕事の影響で乗らずに済んだという奇跡的幸運が発揮されました。

 

30歳でしたが、この時期は清算という時期でした。運命の予定では、乗るはずでしたが、乗らずに済んだのは、さんまさんの功徳でした。冬の時期はとかく不幸や不調が訪れます。その不幸は避けることもできますが、避けられないこともあります。この差は?なんでしょうか?それは日ごろの功徳の成果なのです。

 

いきなり仏教的になりますが、運命を良くすることは、やはり日ごろの行いによるものです。人気タレントで1位に選ばれる理由がすべてを物語っています。大病もせずいつも変わらぬ元気で、活躍しているさんまさんをいつもまでも観たいのです。